AIKAWA NANASE OFFICIAL WEBSITE

NANASE

■2011.11.17

赤米のこと

今年、私自身初めての稲作を今年経験しました。
稲、お米というものの有り難さ、自然というものとの共同作業の中で見いだす神様という存在を昔の人たちは地域の氏神様に結びつけ、田植えや収穫の度にお祭りをしてきました。
それは現在でも神社での行事としてお田植え祭や、新嘗祭として受け継がれています。
みんなも知っての通り、私は2000年の故春日大社宮司、葉室宮司との出会いで神道の世界に魅せられ続けて来ました。
神様の世界には稲が必ず存在します。その稲というもの、宮司が私に伝えようとした日本人としてのこころ、
その核を稲作で今回、垣間みた気がしました。
そして私は稲作というものを子供や、親世代にも伝えたいと思い始めました。
ライブがあり8月に対馬に行ったのですが、そこで赤米の神田を偶然見たことから、
赤い米があることをその時初めて知りました。
私が見た時は少し、穂が赤く色を付け始めた頃で、とても綺麗で目を奪われ、鳥肌が立ちました。
偶然にもその時、赤米を対馬で唯一作っている主藤さんという方のお家に伺って話を聞かせてもらいました。
実際に調べてみると赤米を作っている県は、何県かありますが、御神事としての形態を残しているのは、対馬、種子島、岡山の総社、この3つだけです。
その中で対馬はとんでもない状況に陥っている事がお話をうかがっていく中で見えて来ました。
10数名いた赤米を作っているお仲間が次々と辞め、主藤さんは1人で赤米を作り、神事をしています。
私は今私たちが食べているお米のルーツであるかもしれない古代米の赤米を、次世代に残して行かなければ!!何とかお手伝い出来ないかと思いました。
対馬の市長さんはじめ、地域のみなさんと話をしながら模索し、私は種子島と総社に訪れ、この3県で一緒に赤米の存続をかけて、地元ももちろん他県の人たちにも働きかける橋渡しになりたいと思い、赤米の大使をさせてもらうことになりました。
総社に訪れた時は、地元の新本小学校の子供たちが赤米の稲刈りをしていて、一緒に刈らせてもらいました。
みんな、とても素直で可愛くて、手際よく、自分の身長より高い稲を上手に刈り取っていました。
総社は赤米を使っての商品を作っていて、お味噌や、お酒、おせんべいなどありました。
種子島もお酒を造っていたり、神社の神様に奉納したお米を赤米館でその時期、少量ですが分けてくれたりします。
対馬はそう言った意味ではこれから、赤米を外に出して行く訳ですが、3県の赤米の特異性をもっとアピールして
赤米が次世代に守られて行くようにこれから色々働きかけて行きたいと考えています。
みんなにももっと伝えられるように、私もこれから赤米の勉強を深めて行きたい思いますのでおつき合いください。
PS 岡山の新本小学校の校長先生がその時の様子をブログに書いてくれていますので見て下さいね。
http://www.sinpon-es.soja.ed.jp/otayori/koutyousitu/blog/23/11/11.html