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RELEASE

■2012.12.20

相川七瀬「4年ぶりのアルバム、2013年2月6日発売決定!」

今事記
発売日:2013年2月6日(水)
形態:CD
品番:AVCD-32214
価格:¥3,000(tax in)
レーベル:motorod

相川七瀬「今事記」

今、自分のこころにある事を記して行きたい。言葉を紡ぐという原点に立ち戻って自分の奥底に
沈んだままだった想いや心と向かい合う時間を3.11以降時間をかけてやってきました。
すべて「ひらがな」で降りて来た「ことのは」の歌詞は私のこれからのあり方を変えてしまうほどの
衝撃が走りました。自分のこころとひとつもズレのない声と歌を
「今事記」、今ここに記してあります。

相川七瀬


【収録曲】

  • 1. ヒカリノミ
  • 2. カレイドスコープ
  • 3. Butterfly
  • 4. オトヒメ
  • 5. 花のように
  • 6. 誰かのためになら
  • 7. A Message
  • 8. ことのは
  • 9. Hello
  • 10. あっというま

待望の新曲「ヒカリノミ」着うたフル配信中
2012の春に昔からの知人でイギリスから戻られた、プロデューサーの亀井登志夫さんにたまたま
この歌詞を見せる機会がありました。そして初見ですぐにこのメロディが口をついて出て来て、出来
上がったというとても不思議なシンクロで生まれた曲です。
孤独を感じてしまう瞬間は、みんなそれぞれあるけどみんな誰かとつながっていて、誰かの愛に
触れて、頑張れたり、優しくなれたりしているということを書きました。
「一人一人が誰かの光る存在だってこと」を感じてもらえたら嬉しいなと思います。


スペシャルインタビュー
ーー相川さんの原初的な心のあり方に触れたと感じる作品でした。ここに至るまでの経緯をちょっとたどっていただけますか?
「織田さんの手から、完全に離れた後、なかなか心の整理がつかない時期がありました。全盛期の相川七瀬と現在進行形の自分とのすり合わせもうまくいかなくて、一時歌うことへの情熱が枯れたりもしていました。でも、一方で、自分がやり残してるロック感があることもわかっていて。次男が生まれたときに、やっぱり歌っていたいと心の底からシンプルに思えたから、そのやり残してるロック感を探そうと『REBORN』を作りました。いわゆるクラブサウンドロックといったカタチだったんだけど」

ーーオリジナル・アルバムはそれから4年振りですね。
「実はその間、もうひとつ活動してたことがあって。2011年の2月に、ガールズバンドRockstar Steadyとして、『gossip』というアルバムを出して活動してました。ゲイカルチャーもミックスして、クラブツアーをやったりもして。でも、そこに3.11が起こって、すべてが変わった。一回全部リセットしようと思いました。実際、被災地で胸をしめつけられるような光景を目の当たりにしたことも大きかったし」

ーーどんなことを感じたんですか?
「好きだ嫌いだっていう恋愛の歌ばかり歌ってる場合じゃないなとまず思った。ひとつの対象に向けた歌だけじゃなくて、もっと広い世界観を歌いたいなと。実際チャリティで呼ばれたときに思ったのは、私の歌は人を盛り上がらせるタイプの曲はあっても、大変な境遇に置かれている人たちに寄り添える曲は圧倒的に少ないなと」

ーーなるほど。
「3.11以降、それまで行ったことのない都市、町、村に、必要とされて行くことも多くなりました。必要としてくれてるから、ものすごく歓迎してくれる。いつでも待ってくれてるファンの人たちとはまた違うエネルギーだった。その笑顔を見るたびに、人のために役に立っていることがうれしいし、歌を歌っていて本当に良かったと思えました。つながりが積み重なるうちに、どんどん交流が深まっていって各地に会いたい人たちがたくさん増えた。もちろん、一方でいつでも待ってくれてる人たちがいるからこそできることでもあるんだけど、歌が持つ力で人と人が触れ合って行く事の意味を感じたんです。」

ーーそのどちらも持てていることが、今までとは違いますよね。
「そうですね。歌に対しても変わりました。20代の頃は、上手に歌わなきゃ、音程をキープしなきゃってことばかりに頭がいってたし、30代前半もそこから抜けられなかったけど、今は、どんなに自分のコンディションが悪くても、今日の120%を出すしかない、というスタイルに変わった。だって、明日のことはわからない。自分がいつまで歌っていられるかも本当にわからない。だったら今日を120%やり切るしかないわけで」

ーーそうですね。
「年を重ねていく中で徐々に思ってたことだったんだけど、3.11をきっかけに完全にシフトした。それが私の芸能活動をもう一度底上げするすごく重要な哲学になりました。それがなかったら、歌うのやめてたんじゃないかなとさえ思うくらい」

ーー必要とされて行った場所での出会いは大きかったんですね。
「たとえば<夢見る少女じゃいられない>だったら、自分としてはもう何千回と歌ってるかもしれないけど、呼んでくれたその場所の人たちにとって、それを聴くのは初めての体験かもしれない。そこをちゃんと考えて歌に取り組まないといけないなと」

ーー言葉に対してはどう変わりましたか? 『今時記』には人間くささがすごく出ているなと思ったのですが。
「今回は、本当に自分が思ってることを書きました。日記に近い。今までも日記に近い部分はあったけど、それは恋愛日記。もっと言えば、相手にぶつけてる夜中のメールだった(笑)」

ーーああ! わかります(笑)。
「今回は圧倒的に昼間の作業が多かったから」

ーーヘンなアドレナリンが出てない?
「そうそう。魔が差してない(笑)。あと、日記って誰も見ないのに、です、ます調で書いちゃったるするでしょう? 自分を客観視してまとめようとするところがある。そういうニュアンスも今回は含まれてるかも」

ーー歌録りも昼帯に?
「そう。昼間録って夕方には帰るというスタイル。子供ができてからはそうシフトせざるをえなかったんだけど。今思えば、昔は歌詞にも歌にも夜の自分が投影されてたなぁと。今回はみんなが起きてる時間の私が出てると思う」

ーー『今時記』のスタートとなったのは、3.11直後に浮かんだ「ことのは」だったそうですね。
「寝ようかなと夢うつつのときに、あの曲の歌詞がワーッと出てきた。それも全部ひらがなで。これはメモッておかないと後悔するなと思い、ほとんど無意識で書き留めた。翌朝見たとき、これはスゴいかもと」

ーー「ことのは」の曲は池田綾子さんですが、ということは詞先?
「そうです。綾子だったらヘンに脚色せずに、きっと想像以上のものにしてくれると思って預けられました。“軽々しくやりたくないから、ちょっと考えさせてください”と綾子は言ってくれて。ちょうどその頃、たまたまべつの仕事で一緒に和歌山に行く機会があって、二人して空き時間にブラブラと山を歩き、神社に参拝してた時に。綾子が“あ、イケる。今、できた”と」

ーー言葉も曲も本当に湧き上がってきたものだったんですね。
「それがすごく新鮮だったから、今回は詞先でやってくれる人と組みたいなと思いました。いろいろ考えてるうちに、亀井登志夫さんとの縁が復活しました。私、昔よくロンドンでジャケの撮影とか、レコーディングとかやってたでしょう? 当時ロンドンで活動されてた亀井さんに、向こうでよくしてもらってた。日本に帰って来てるという噂は聞いていたけど連絡が途絶えたままだったのもあって思いきって連絡してみたら、ライブを見に来てくれるって言ってくれて。そのステージで初めて演奏した<ことのは>を聴いた亀井さんが、私がやろうとしてることにすごく興味を示してくれて、“詞先でもOKだからいつでも言ってくれ”と」

ーーそれで亀井さんとのコンビで最初に完成したのが「ヒカリノミ」。
「言葉を渡してすぐ“できた”と。初見でメロディが出てきたらしくて」

ーー亀井さんは、今作のトータルも見ていらっしゃるんですよね?
「そう。トントントンといった部分もあれば、考え方が違ってすり合わせが大変だった部分もあったけれど。」

ーーというと?
「もう私は、人のやらせたい音楽の私をやりたくない。時間がない、と思うから。もちろん20代はそれが絶対に必要だった。織田さんの思う私になることは、私にとっては必要なプロセスだったし、私は織田さんの思う私に近づきたかった。織田さんから卒業した後のそこからの旅は、常に、他のプロデューサーに翻弄されたくないということとの戦いだった。ボーカリストとして表現したいこと、熱い思いを、プロデューサーにすり替えられたくないという気持ちが強かった」

ーーまさに戦い。
「嫌だったのにレコーディングしたというものは残したくない。どの曲も自分が本当にやりたくて、録りたいから録った、というものじゃないと、もうダメだと思う」

ーージャッジを自分自身の責任でくだすということですよね。
「何が本当に欲しいかを明確にしなきゃいけない。だから、正直疲れた(苦笑)」

ーー周りを説得しつつ自分の意を通すって、エネルギーいりますもんね。
「ボーカルを入れたときに、満場一致で“いいね”、“化けたね”という着地点に到達しなきゃいけないわけだから」

ーーそうですね。
「今回亀井さんの意向で、歌録りのエンジニアさんもいつもとは違う人だったの。そうすると音質が決まるまでやっぱり時間もかかる。でも、逆に言うと、初めての人だからこそ、私の美味しい部分を録ってくれる可能性もあるわけで。慣れてる人であれば早いけど、お決まりのコースで終わっちゃうかもしれない。そのへんは一種の賭け。いずれにせよ、私はベストを尽くすだけだけど」

ーー全体を俯瞰の目で見るプロデューサーは相川さん自身ですもんね。
「でもね、正直、向いてないんだ(苦笑)。やっぱ私は演者なんだと思う。だから、客観的に言えば、織田さんは何だかんだ言ってピッタリなんだと思う。これやれ、あれやれって台本渡されて、歌の主人公になって演じていけるのは、織田さんの曲の中だけだと私は今でも思っている。でも、大人になって、経験も積んだ今は、自分が残したいと思う曲を作りたい。そういう意味で、セルフ・プロデュースせざるをえなくなったんだ」

ーー今日をやり切るためにも、自分で動くしかないですもんね。
「音楽と一緒にいられるのが、あと、何千時間、何万時間かわからないけど、とにかく限りある私の音楽の時間を浪費したくない。心に背いているものはやりたくない。だって、歌うときに気持ちがこめられないから」

ーー聴き手にも伝わってしまいますしね。
「本当にこれなのかな? と迷いながら、人の求める自分を無理して書いた曲も、もちろん、今となれば頑張ってやってたじゃんとは思える。でも、そのときの気持ちが歌に残ってるから、やっぱり楽しめなかった自分を思い出しちゃう。それはもう絶体に避けなければいけないなと。とにかく、常に自分自身がレコーディングしたいと思う状態で取り組みたいのね」

ーーいろんな時代をくぐり抜けてきたからこその境地でもありますよね。
「90年代の音楽バブルにデビューして、山も谷も経験した。長いながいトンネルを抜けるには、まず続けること、そしてそこでの心の持ちようだということも学んだ。失うものは何もないし、持ってるものは持ってる。だからこそ裸で強く勝負ができると思う。聴き手に媚びず、アッパーだ、バラードだっていう計算での作り方もしたくない。“もうロックじゃないんだ。じゃあ聴かない”と言われても、私の奏でている心の音に素直でいたい。ロックを捨てたわけじゃないし、私の中のソウルは生きてる。言葉でのカテゴリーのロックやポップスは問題じゃないって。それでいいなと。40歳という年齢、キャリア20年というところに近づいてきた今、率直にそう思ってる」




ヒカリノミ
 知床半島の森の中でハラハラっと降ってきた言葉にメロディをつけてもらい、うまくハマらなかった部分を再度書き直して仕上げたものです。最後の最後に書き直しの作業をしたのは、京都に向かう新幹線の中でした。移動中のインスピレーションであの「あおうえいあ」が出てきたんです。この曲を給食の時間に流してくれている小学校があって、生徒さんからたくさんお手紙をもらいました。そもそもそこに呼ばれて行って、小さい体育館で歌ったのがご縁。そこでしっかりみなさんと向き合って歌ってよかったなと思います。なによりそういうつながりが大事だなと。


カレイドスコープ
 (池田)綾子が妊娠9ヶ月くらいのときにこの歌詞を送ったら、すごく軽快な曲を書いてくれました。万華鏡って外から見ると、中にあんな世界が存在するとは思えないでしょう? きれいだけど、一方でカオスでもある。それって人間も一緒。どれだけお金があっても、どれだけ幸せそうに見えても、どれだけ美人でも、みんなそれぞれ悩みはある。でも、「気持ちの持ちよう」で、見えている景色も、聞こえる音も違う。ネガティブなことも見方を変えたらポジティブになるし、ポジティブなこともひっくり返したらネガティブになる。どちらもなければ、どちらも知らないまま。そんな心模様をカレイドスコープに映しました。そいういう生き物なんだよね、人間ってとつくずく思います。


Butterfly
 自分に自信が持てず、臆病になってなかなか一歩を踏み出せないことってありますよね。でも、どんなに傷ついても、人はまた立ち上がれる。そう信じる気持ちを書きました。「誰にでも魔法のような時が訪れる。扉を叩いて、扉を開いて・・・」。亀井さんのお気に入りの1曲でもあるかっこいいロッカバラードです。学校の保護者会で並んでいたときに、「七ちゃん、いいのできたんだけど、聴いてくれる?」と受話器越しにフルで歌われたときは、どうしたらいいんだろうって思いました(笑)。


オトヒメ
 すべてカタカナで、大和言葉を想い書きました。私の好きな神社とか神話の世界が満載な特別な歌詞。霊気が漂う深い霧に包まれた森の中にいるような感じ。『もののけ姫』の世界観に近いかも。去年のお正月、亀井さんと一緒にご飯を食べに行ったとき、「不思議なメロディが出てきたんだよね」と、またその場で歌ってくれました(笑)。瞬間的に、ワーッこれだ! と。サウンドは、和の世界や日本の古来の歴史を感じさせるものを目指しました。トリッキーなコード進行なので、歌うのは難しかった。自分のものになりそうでならない。初披露した熊野のライブでもすごく緊張しました。サポート・メンバーも同じ感覚だったみたい。つかめたかなと思うと逃げていってしまうから、また追いかける。その必死さが私にグーッと集まって、最終的には背筋がゾクッとするくらい感情があふれ出しました。歌うごとに自分のものにしていけたらなと思ってます。


花のように
 比較的早い段階で歌詞はできてて、亀井さんも曲をつけてくれたんだけど、私がA、Bメロを変えてほしいとリクエスト。でもいい案はなかなか生まれず、だいぶ長いことほったらかしてたんです。最終的に亀井さんから、A、Bの歌詞を変えてくれないかという逆リクエストが来て、違うパターンを書いたら、スッと完成(笑)。歌詞のインスピレーションは、「花のように、生きて、花のように役目を全うしたいね」と言っていた今は亡き私の友人の言葉です。花はけっして人を喜ばせようと咲いているわけじゃない。自分の四季の務めを全うしてるだけ。それが心に残ってたんですよね。その大切な言葉を、ずっと忘れないように歌っていきたいと思います。


誰かのためになら
 もともとは亀井さんが奥さんとやっているユニットYONGEN用の曲。世界観ができあがっているものをいただき、A、Bを私なりに変えさせてもらいました。サビも変えようと思ってたけど、「誰かのためになら出来る事もある」という言葉がとにかく強くて、これ以上のものは見つからないと思った。人の書いた歌詞を動かせなかったのは初めて。共感しつつ、参りました! と思いました。自分のために動く時より、誰かのために動く時の方が底知れない力が湧いてくる。そんな自分の経験とも重なります。


A Message
 これだけが曲先です。ずっとサポートをやってくれているアッツー(渡辺篤弘)の曲。実はアッツーには去年の教会ライブのときこう叱咤激励しました。「私は1本、1本、もう次はないかもしれないと思ってステージに立ってる。そこに寄り添ってくれるミュージシャンじゃないと、一緒に立ちたくはない。それくらい私の音楽人生は切羽つまってる。だから、もしそのつもりがないなら、今すぐクビにする」と。アッツーは「自分を変えます」と言ってくれました。それからしばらくして、アッツーにも赤ちゃんができたんです。ちょうどウチの娘と同じタイミング(笑)。そういう人生の節目で、渾身の一撃を放って書いてきてくれたのがコレ。あの叱咤激励は、私自身に対するものでもあったけど、それをアッツーはよく咀嚼して曲に投入してくれた。この曲になら合うかもと、ずっと持っていた言葉をハメてみたら、詞先かと思うくらいピッタリで驚きました。ただ、アレンジ面ではいちばん手こずった曲です。何度もやり直して、歌詞も何度も書き直しました。最終的に、あきらめなくてよかったねと、みんなでニッコリ笑える仕上がりに。このアルバムの大きな意味やテーマを含んだ1曲です。


ことのは
 3.11のあと、夢の中ですべての言葉が出来上がった不思議な曲です。私の今まで創ってきた世界とは全く違う景色の歌。一対一の愛じゃなくて、大きなものに対しての愛を歌ったものです。『今時記』はこの曲から始まりました。そういう意味でも、とても大切なポジションにいる曲。2012年の恒例の7月7日のライブで、来てくださったお客さん全員に、この1曲が入ったCDをプレゼントしました。


Hello
 怒った顔してると、それだけでコミュニケーションって閉じちゃうんですよね。だから、まぁ、チキショーと思っているようなときでも、とりあえずニコニコできる自分になりたいなと(笑)。コーラスで参加してるのは、ウチの息子とその友達。みんなすぐに覚えて、楽しく歌ってくれたので、とても可愛い曲になりました。面白かったのは次男です。音楽に興味があるから、もうヘッドフォンしたらワクワクしちゃってノリノリ。気持ちが逸って、音はハズれてるんですけどね(笑)。


あっというま
 亀井さんが1週間ほどフィレンツェに行ったときに、街角で鳴っていたこのスティール・パンの音を録音してきたんです。フワフワしたインストゥルメンタルという感じなので歌詞がつくかなぁと思ってたんですけど・・・ある日、しょこたん(中川翔子)が誘ってくれて、一緒に『オオカミ子供の雨と雪』を観に行きました。二人して大号泣。人の人生ってあっというまだな。誰かに、何かに関わっていられる時間って、俯瞰で見たらほんの一瞬なんだなってすごく思いました。好きな人たちとあとどれくらい時間を共にできるのか。それも、あっというまなんだろうなと・・・。だからこそ、今をちゃんと楽しみたい。命も資源も、音楽も家族も、ミクロでもマクロでも全部にあてはまることだなと。本当にいろんな思いがこみ上げて、帰りのバスの中でワーッと言葉があふれ出ました。シンプルだからこそ響く言葉もあるとあらためて感じています。