NANASE
■2011.12.12
対馬への訪問
三度目の対馬に行って来ました。
三度目ともなると少し対馬という場所が自分に対して心を開き始めてくれているのを感じます。
今回、とても楽しみにしていたのは永留久恵先生にアポイントが取れてお会い出来るということでした。永留先生はもう90歳を超えていらっしゃいますが、とてもお元気で、赤米について歴史的な背景含め色んな事を教えてくださいました。
先生は対馬の歴史に生涯を費やして研究されていて、それ以外に神道関係の重要な資料なども本にして残して下さっています。
私は永留先生の辞書みたいな大きな本を、持ち歩き、対馬の赤米の情報を少しでも吸収したいと思い今もさらに勉強中です。
赤米のプロジェクトとして、私がこの先、お手伝いできるのは何なのか。
それは永留先生との話の中でヒントをもらった気がします。
先生が
「赤米を伝える当頭が1人になってしまったという背景には、地元の人間が、もっと言えば現代の人々が信仰心をなくしたということが一番の原因だと思う。
昔は食べ物が本当に無かったし、貴重なもので、それが海から魚とれる、稲作があってお米がとれる、これはすべて恵みだと、神様から与えてもらったものだと人間は感謝することができた。
だけど、今どこに行っても食料が買える時代になって、少しづつ、その恵みというものを忘れ始めた。それが結果的に、縄文後期からずっと受け継がれて来た古代米への祈り赤米の祭りが、衰退して来ている一番の核心だろう。
しかし進化というものは、昔の人が積み上げて来たものを忘れて行くなかで、新しい創造が始まることもある。だからこれは難しい問題だけれども、忘れてしまった事をただやみくもにいけないという事も言えないのだと思う。
その中で残って行くものは必ず残り、消えて行くものは新しい何かとなって生まれて行くそれが
破壊と創造なのだと思う。」
とおっしゃってくれた時に、私は赤米を残して行くということだけではなくこれは
大地の恵みに対しての有り難うの気持ちや、信仰心を取り戻すためのプロジェクトなのだと
思いました。
来年の対馬の赤米の神事には行ける限りすべて見てどんな形でお米を作り、お祭りを支える人たちといかに共創造出来るかを再来年への可能性として模索していこうと思います。
また総社と種子島にも足を運んでこの三県が赤米を伝えて行く、力を持続出来るような活動をともに考えたいなと思いました。